1日、ミャンマー国軍が事実上のクーデターによって全権を掌握。民主化のシンボルとして著名なアウン・サン・スー・チー氏が率いる「国民民主連盟」(NLD)政権の閣僚24人や与党議員を解任。スー・チー氏についても拘束、自宅での軟禁状態に置いた。 【映像】スーチー氏は英雄じゃない?日本人には誤解も… 軍事政権は国軍出身者を新閣僚に任命、市民による抗議を押さえ込むため、インターネット通信の遮断を命じるなど統制を強化している。他方、スー・チー氏の拘束に快哉を叫ぶ人々もいるという。一体、ミャンマーでは何が起こっているのだろうか。
■軍部との“板挟み”に…
まず、今回のクーデターの背景についてみてみよう。東南アジアを拠点に国際政治を取材するフリージャーナリストの海野麻実氏によれば、スー・チー氏は難しい舵取りを迫られていたのだという。 「国軍側としては、これ以上スー・チー氏率いるNLDの存在感が増し、国軍の発言力が低下していくのを避けたかった。スー・チー氏はイギリス人の夫との間に生まれた外国籍のお子さんがいるため憲法の規定で大統領にはなれなかったが、国家顧問として国軍の主張も取り入れるなど、良好な関係を維持しながら政権を運営していかなければならない状況にあった。そういう中で昨年11月に総選挙が行われ、NLDが勝利した。選挙監視団も入っていたし、日本や欧米諸国も選挙に不正はなかったと結論付けているわけだが、国軍側は有権者名簿に不正があったと主張するなど不満を抱いており、議会が始まる前に何とか理由を作ってストップさせなければならないと考えたのだろう」。
海外経験も豊富で、日本でも民主化運動の指導者としてよく知られているスー・チー氏。国民の間の人気も高かったという。 「父親はビルマ建国の英雄で、自身が10代の頃には母親がインド大使として駐在したニューデリーでマハトマ・ガンジーの非暴力の教えを学んだ。オックスフォード大学に進学、京都大学に客員研究員として滞在されていたこともある。このように海外でキャリアを積み、帰国後に軍事政権によって自宅に軟禁状態に置かれていた時期には民主化に向けて力強く発信をし続けた。ノーベル平和賞受賞者でもあるし、国際的にも認められたリーダーだということで憧れの存在でもある。高齢者だけでなく、若い層にも“お母さん”と呼ぶ人たちがいるほどだ。 そのため、今回のクーデターに対してはミャンマーでは悪魔祓いの意味合いもある、フライパンや鍋、ペットボトルを叩く抗議活動も行われている。ただ、コロナ禍や国軍の監視の目もあり、大々的なデモは控えてオンライン上で静かな抗議をしようという雰囲気になっている。ネットへのアクセスも遮断されてはいるが、VPNを使って接続し、SNSのプロフィールのアイコンをスー・チー氏のイラストに変えている人もいる」。
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