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南アのアパルトヘイト廃止尽力で平和賞 デクラーク元大統領死去 - 毎日新聞 - 毎日新聞

記者の質問に答えるフレデリク・デクラーク氏=広島市で2010年11月13日、小川昌宏撮影 拡大
記者の質問に答えるフレデリク・デクラーク氏=広島市で2010年11月13日、小川昌宏撮影

 南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)体制を廃止に向かわせたとして、ノーベル平和賞を受賞したフレデリク・デクラーク元大統領が11日、ケープタウンの自宅で死去した。中皮腫で闘病中だった。85歳。ロイター通信が報じた。

 1936年、ヨハネスブルクで、曽祖父が国会議員、父が元労相という政治家一族に生まれた。ポチェフストルーム大学卒業後、弁護士を経て、72年に国会議員初当選。郵政相、教育相などを経て89年に国民党党首となり、旧白人政権の最後の大統領に就任した。

南アフリカでアパルトヘイトを廃止し、マンデラ元大統領(左)とノーベル平和賞を共同受賞したデクラーク氏=オスロで1993年12月、AP 拡大
南アフリカでアパルトヘイトを廃止し、マンデラ元大統領(左)とノーベル平和賞を共同受賞したデクラーク氏=オスロで1993年12月、AP

 90年2月に国会で演説し、現与党のアフリカ民族会議(ANC)や南ア共産党などの合法化、黒人解放闘争の象徴的存在だったネルソン・マンデラ氏の釈放を表明。アパルトヘイトに終止符を打つことを宣言した。マンデラ氏と協力して白人特権階級による支配体制を軟着陸させ、93年にノーベル平和賞を共同受賞した。

 94年に初の全人種による総選挙を実施。南ア初の黒人大統領に選ばれたマンデラ氏の下で副大統領を務めたが、96年に辞任した。

 97年に政界も引退し、その後に出版した自伝で「悪意ある不当な攻撃」を受けたとマンデラ氏を批判。民主体制への平和的な移行は国際社会から高く評価されたが、その道筋などを巡って2人の間には深い溝があったとされる。

 大統領在任中には、同国が原爆を製造し、秘密裏に廃棄していたことも明らかにした。

 晩年は自らの財団を通じて活動。政府による「過度の差別是正措置」を懸念し、少数派の白人の権利も尊重するよう主張した。2013年に心臓のペースメーカーを装着する手術を受けていた。

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