韓国、3度目のWTO事務局長挑戦も惜しくも失敗 「奇跡の逆転勝ち」期待と興奮で沸いたが 「地域・縁故」投票の壁乗り越えられず
ユ・ミョンヒ通商交渉本部長が5日、世界貿易機関(WTO)の次期事務局長候補を辞退したのは、昨年秋に支持基盤を持つナイジェリアのヌゴジ・オコンジョイウェアラ候補(66)に対し、最終的な支持率調査で大きな差をつけられたことで、すでにある程度予見されていた。ユ候補が両者間の最終決定戦で苦杯をなめてしまった要因の一つに、WTOに加盟した164カ国間で横行した「地域主義・縁故主義」投票形態が挙げられる。相手候補が世界銀行(WB)に25年間勤めながら副総裁を務めるほど、国際社会で知名度の高い、政治的に“ヘビー級”の人物だったが、ユ本部長も現職の通商長官としての通商専門性と「K防疫」で高まった韓国の地位に後押しされ、熾烈な選挙戦を繰り広げた。 しかし、今回の事務局長選出で最も大きな影響力を持ち、「事務局長選出権力」を行使した欧州連合(EU)に対し、韓国が「地域グループ同士の醜い力の張り合いを控えるよう」と集中的に説得したにもかかわらず、この「大陸・地域主義投票」の壁を乗り越えられず、悔し涙を飲まなければならなかった。特に地域主義投票傾向の中でもアジアの中国・日本が選挙開始時から「ナイジェリア候補支持」を宣言したのはもちろん、「ユ・ミョンヒ反対行動」に乗り出したことも要因の一つと見られる。 3度目のWTO事務局長への挑戦、惜しくも失敗 昨年6月8日(立候補者登録開始)から始まったWTO(スイス・ジュネーブ)次期事務局長選出の手続きが、5カ月間にわたる長い道のりを終えた。韓国はWTO事務局長に今回まで3度挑戦した。1994年、キム・チョルス商工部長官が出馬して最終選出には失敗したものの、事務次長を務めた。2012年にはパク・テホ通商交渉本部長が出馬し、第2ラウンドまで進んだが、最終決戦には進出できなかった。惜しくも今度の挑戦でも失敗してしまった。 巨大な事務局長選出権力のEU、結局アフリカを選択 最終決戦では、ユ本部長の通商分野の専門性とオコンジョイウェアラ候補の政治的力量のどちらに重点を置くかをめぐり、加盟国の間でも意見が分かれたという。ユ本部長は現職の通商長官として、韓国が複数の中堅国と自由貿易協定(FTA)を締結する際に構築した相互信頼・支持基盤を持ち、相手候補は第3世界および発展途上国の経済発展を支援する世界銀行に25年間勤務(副総裁を歴任)した政治的履歴を基に、多くの途上国閣僚と親交・人脈を築いてきた。二人は相反する長所を掲げ、選挙戦でしのぎを削ったが、ユ本部長としては164カ国の地理的分布などで地域主義投票の限界を克服することが難しかったものと見られる。 今回の選挙で貿易通商を超えて「外交的アプローチ戦略と努力」が足りなかったという分析もある。ユ本部長が立候補した当時は、政府内でも懐疑的なムードがあったという。ある経済当局者は「当初は、外交側から当選の確率が低いとして手を引くこともあった」と述べ、選挙戦序盤にまた別の高官は「外交部が積極的に乗り出すべきなのに…」と言葉を濁した。ところが、文大統領が選挙中盤から直接指揮し、ユ本部長が最終決選に進んだことで、雰囲気が一変した。日本がユ本部長を落選させるために意地悪な行動に出たという海外メディアの報道もあったが、選出方式や構図からして、今回の事務局長選出で日本が決定的な影響を及ぼすことは難しかったと見るのが現実的だ。 ユ本部長、困難な状況でも善戦・奮闘 歴代WTO事務局長を見ると、先進国と途上国が交互に引き受けてきた。選挙が始まる前から「今度はアフリカ地域の番」という噂がジュネーブ内外に広まっていた。歴代の事務局長は、初代ピーター・サザーランド(1993~1995年・アイルランド)、2代目レナート・ルジェロ(1995~1999年・イタリア)、3代目マイケル・ムーア(1999~2002年・ニュージーランド)、4代目スパチャイ・パニチャパック(2002~2005年・タイ)、5・6代目パスカル・ラミー(2005~2013年・フランス)、7・8代目ロベルト・アゼベド(2013~2020年・ブラジル)だ。 今回の選挙はロベルト・アゼベド前事務局長が任期を1年残して突然辞任したことで行われた。WTOは新たな貿易自由化交渉であるドーハ開発アジェンダ(DDA)交渉が2001年から始まったが、事実上座礁し、組織無用論が台頭するなど、長い間無気力状態に陥り、混沌の渦中にある。通商大国が自由貿易の規範を堂々と無視することが頻繁に起きている。船が漂流して沈没しているのに、船長は逃げてしまった状態で選挙が行われたわけだ。事務局長立候補者全員が「WTOを救う」を第一声に掲げ、ユ本部長も「今はWTOの運命がかかった非常事態だ。自由開放貿易と多国間貿易体制の存続と復元のためにユ・ミョンヒを選んでほしい」と訴えてきた。 第2次世界大戦直後、ブルトン・ウッズ体制で誕生したGATT(関税及び貿易に関する一般協定)に続き、ウルグアイ・ラウンド(UR)交渉も実り、1995年に発足したWTOは、国連などの他の国際機関に比べ事務局長個人の権限が少なく、ジュネーブ駐在164カ国の個別加盟国大使らが互いに協力あるいは対立しながら、共に動いていく組織だ。事務局長の任期は4年で、年俸は約2億ウォン(約1900万円)とされる。 チョ・ゲワン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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