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政変ミャンマー、記者が見たスー・チーの虚像と素顔 - JBpress

東アジア「深層取材ノート」(第73回)

国軍に拘束されたミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問 2017年9月撮影(写真:ロイター/アフロ)

 2月1日、西側諸国で「ミャンマー民主化の女神」と崇められてきたアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相が国軍に拘束され、ミャンマー国内に1年の非常事態宣言が発令された。事実上の軍によるクーデターである。

 実は私は、いつかこの日が来るのではないかと案じていた。それは、ミャンマーの最高権力者であるスー・チー女史の政治手腕に、疑問を抱いていたからだ。

バンコクの国際フォーラムで直撃

 いまから9年前、2012年6月のこと。「ダボス会議」を主催しているWEF(世界経済フォーラム)が、バンコクでASEANの国際フォーラムを開いた。当時、北京に住んでいた私も取材に行ったが、そこにスー・チー女史が参加したのだ。

「建国の父」アウン・サン将軍の娘であるスー・チー女史は、1988年に起こった軍事クーデターによって自宅に軟禁された。その間、1991年にノーベル平和賞を受賞し、1999年にはイギリス人の夫が死去したが、彼女は出国できなかった。

 2010年11月にようやく軟禁を解かれ、2012年4月に行われた国会議員の補選に立候補して当選。パスポートを支給され、この時、24年ぶりに出国し、バンコクへやって来たのだった。

 私はこの国際フォーラムで、朝から夕刻まで一日、彼女と一緒だった。そこでランチの時間も含めて、様々なことを彼女に聞いた。

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