[マシンロック(フィリピン) 8日 トムソン・ロイター財団] - フィリピンの漁師ロニー・ドリオさん(56)は10代の頃から南シナ海の中心へと船を出し、スカボロー礁(中国名:黄岩島)で漁を行ってきた。
だが、この場所は今、アジアで最も争いの絶えない係争海域の一つとなっている。ドリオさんによれば現在、フィリピン沿岸から約200キロ離れたこの海域で漁を行うことは、この環礁の領有権を主張する中国から「攻撃的な行動」を受けるために、ますます困難で危険なものになっているという。
スカボロー礁は、フィリピンが自国の排他的経済水域(EEZ)内に位置すると主張しているが、2012年以降は中国が実効支配を続けている。
漁村マシンロックの沖にあるサンサルバドル島で暮らすフィリピン人漁師らは、中国側はスピードボートや放水砲を使用して彼らがこの海域に近づくことを妨害してくると、トムソン・ロイター財団の取材に話した。
こうした衝突は、フィリピンが南シナ海での警備体勢を強化する中で発生。同海は長年、米中衝突の火種にもなり得ると見られてきた。
情勢の緊迫を受け、サンサルバドル島に住む漁師の収入は激減した。環礁で自由に漁を行うことが不可能になり、時には魚を捕る前に追い払われるため、公海に出ることを余儀なくされている。
ただ、外洋での漁で燃料費がかさむため、漁師らは出漁の度にさらに遠くへと船を進めることを強いられている。漁に出るごとに借金が増えるという悪循環に陥り、より多くの漁獲を得なくてはならないからだ。
「私たちはただ生計を立てようとしているだけだが、漁場から追い出されてしまう。多くの漁師が中国の沿岸警備隊に遭遇することを非常に恐れている」とドリオさんは言う。
マシンロック出身の別の漁師ジミー・タバットさん(45)は、かつてはスカボロー礁に3日出れば、家族に十分に食べさせ、貯金もできるほどの漁獲量があったと話す。
「環礁内で漁を行えば、消費する燃料は比較的少なく、深さのある公海に出るよりも多く魚を捕ることができた」
スカボロー礁という名称は、1748年に同地で難破した英国の船名に由来する。フィリピンでは「バホ・デ・マシンロック」、もしくはタガログ語で「平穏」を意味する「パナタグ」という名で知られている。
南シナ海の90%の領有しているとする中国の主張は2016年、仲裁裁判所により退けられた。だが、中国政府はこの判決を受け入れておらず、2012年に環礁を占領して以降、沿岸警備隊やトロール船の配備を継続している。
在マニラ中国大使館に本件に関するコメントを要請したが、すぐには返答は得られなかった。
ドゥテルテ前大統領が2016年に政権に就いて以降は中国との外交関係が改善。フィリピンの漁師らはスカボロー礁に戻ることができ、一時は平穏が訪れた。だが昨年、故マルコス元大統領の長男フェルディナンド・マルコス・ジュニア氏が大統領に就任し、親米路線を取ったことで、フィリピンと中国の緊張は再び高まっている。
ドリオさんは、漁師らが経済的にも精神的にも苦しんでおり、不安による発作やトラウマを抱える人もいると明かした。
「スカボロー礁で心穏やかに、自由に釣りができるようになること。望むのはたったそれだけだ」とドリオさんはサンサルバドル島沿岸に停泊する自身の漁船近くで腰掛けながら語った。
「あの場所は私たちのものだ」
<「赤字漁」>
フィリピンの漁業者団体「パマラカヤ」によれば、豊かな水質を持つ浅瀬のスカボロー礁へのアクセスが制限されることにより、ザンバレス州の漁師は収入の約70%を失ったという。
タバットさんは、2012年以前は週に8000─1万フィリピンペソ(約2万─2万6000円)得られることもあった漁師の収入が、約2000─3000フィリピンペソにまで激減したと話す。つまり、従来と同程度の生計を立てるには3倍の時間がかかることもある。
「損失を出しながら漁に出ている。時には、家に何も持って帰れないこともあった」
フィリピン漁業水産資源局(BFAR)によると、南シナ海は38万5000人を超える登録済み漁師にとっての重要な漁場で、2018年から22年までの期間で30万4000トンの水揚げ量があったという。
資産の再構築や地方の発展を専門とする非政府組織「人民開発研究所(PDI)」が昨年行った研究によると、2012年以前には、スカボロー礁で一度の漁を行うたびに、さまざまな種類の価値の高い魚が最高3トン水揚げされることもあったという。
だが現在では、漁獲量の減少やサンゴ礁の破壊、中国船舶による「嫌がらせ行為」、荒れやすい天候の中でも漁師が浅瀬に避難できないといった影響から、この海域での漁が「経済的に実行不可能」になりつつあると同研究は指摘している。
同研究はまた、中国がオオシャコガイ採取のため岩礁を掘り起こしたために、スカボロー礁のサンゴ礁が破壊されたと指摘した。
フィリピン沿岸警備隊は9月、西フィリピン海(南シナ海のフィリピン名)の沿岸から200カイリまでの海域にあたるEEZ内で「中国側が頻繫に出入りする区域で広範囲に及ぶ被害が見られる」と発表した。
PDIのアウレア・ミクラテベス代表は、同地域での漁業権を保護するフィリピン政府の義務をまとめた憲章の作成を望んでいると述べた。
<権利のため団結する漁師たち>
漁師らも静観してはいない。2020年、環礁で漁を行う自由を求め、ザンバレス州や周辺地区の漁師1000人以上が「ビッキス漁民連盟」を設立した。
「連盟を設立したのは、私たちの切実な願いが聞き届けられなかったためだ。私たちは無視された」とマシンロックの漁師で連盟の広報を担当するエンレリト・エンポックさんは言う。
同連盟はフィリピン政府に対し、自国のEEZを改めて主張し、管理する積極的なアプローチを取るよう要請したという。また、スカボロー礁にフィリピン沿岸警備隊を常時配備し、マシンロックなどの地域で苦しい生活を送る漁師らに代替的な生計手段を提供することも求めたという。
BFARは、漁師らを対象に8000万ペソ規模の生計援助プロジェクトを立ち上げたほか、西フィリピン海上の漁船に対して燃料・飲料水・軽食など補給する事業を行っていると述べた。
ドリオさんは政府の援助に感謝を示しつつも、これまでに行われた支援における運営のずさんさを指摘。過去に提案された海藻養殖事業は周辺の水質に合わず、寄贈された船は長期間の漁業には向かないものだったと振り返った。
「海が荒れている時は、漁師の腹も荒れる」とドリオさんは言う。
「不安を感じず家族のための漁業が再開できるよう、政府が支援してくれることを期待している」
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