[香港 29日 ロイター] - ドキュメンタリー映像作家のキウィ・チョウ氏は、先日香港の歩行者用トンネルを歩いていたとき、違法広告を剥がした清掃員が、壁に残った接着剤を剥がしてモップで拭いている様子に目を留めた。
その光景が思い起こさせたのは、2019年の民主化要求の抗議活動の際に、彼自身が活動家に転じた日だ。チョウ氏は当時、幼い息子や数人の友人と共に、政治的なメッセージやイラストを描いた付箋で、別のトンネルの壁を埋め尽くそうとしていた。
すると、見知らぬ人たちも加わった。
「とても嬉しかった。自分が主催者になったのは初めてだった」
翌日彼が通りかかると、清掃員たちが無数の付箋を剥がしていた。壁一面に貼られた付箋のモザイクは香港で「レノン・ウォール」と呼ばれた。元祖「ジョン・レノン・ウォール」が生まれたのは、1980年代、共産党支配下のプラハ。壁一面、落書きやビートルズの歌詞、政治的な不満で覆われていた。
妻からの電話に促されて、チョウ氏は地面に落ちた付箋を拾い集めた。「できるだけ拾ってきて」と妻は彼に言った。「うちの子が描いた絵も持って帰ってきて」
2019年8月のその日、清掃員たちはチョウ氏に告げた。トンネルの壁をきれいにして、作業完了の証拠として写真を撮って上司に提出しなければならない。ただし、チョウ氏がトンネルの反対側の壁に付箋を貼り直しても構わない、と。
チョウ氏には、それが清掃員たちによるせめてもの抵抗のように思えた。同氏はこの体験を経て、自分自身の職業を民主化の大義のために使おうという気持ちになった。
「これが香港人の精神だ」とチョウ氏は考え、抗議活動を記録するためにカメラを向けるようになった。今年後半には、このドキュメンタリー作品の編集を完了したいと考えている。
レノン・ウォールの撤去は、「美しいもの」の破壊の始まりだったと彼は言う。
抗議活動が続く間、このトンネルのレノン・ウォールは何度も撤去されたが、人々はそれを再建した。
だが現在では、レノン・ウォールは消滅している。中国が1年前に香港国家安全維持法(国安法)を施行し、政権転覆、分離主義、テロ、外国勢力との共謀と見なす行為を取り締まり、最高で終身刑を科すようになったため、集会を行うことは危険になった。
香港の民主的な未来を望む人々は、「2019年に起きた出来事の記憶」という目に見えない前線の後ろに再結集しつつある。催涙ガスやゴム弾でこの前線を蹴散らすことは困難だが、それでも攻撃を受けている、と彼らは言う。
民主化活動家は、体制側が当時の状況の伝え方を支配しようしていると批判し、将来の世代には政府側の視点からのストーリーしか見えなくなるのではないかと懸念している。つまり、2019年の抗議行動は、共産党の卓越した指導のもとで台頭する中国の足を引っ張ろうとする外国勢力に操られた少数派による非合法な暴動だった、という筋書きだ。
公共放送の香港伝台(RTHK)は、抗議行動、あるいは政府に対する批判や権力者に対する調査報道を含む番組のアーカイブを消去しており、オンライン活動家はブロックチェーンを活用したプラットフォームに動画のコピーをバックアップする動きを始めている。
当局は、特定のスローガンや歌を非合法なものと宣言し、学校のカリキュラムでも政治的に問題のあるテーマを削除・再構成し、公共図書館の書棚から民主主義関連の書籍を排除している。映画館や大学、画廊では、抗議活動に関連した作品の上映や展示が中止された。
香港政府は先日、国家安全保障を理由とする映画の検閲を当局に認める新たなガイドラインを制定した。指針には、「国家安全保障を脅かす攻撃に相当する可能性のある行為または活動の描写、叙述または表現、(中略)さらにはそうした行為または活動を支持、支援、促進、美化、奨励または扇動するものと客観的かつ合理的にみなしうる映画の内容」が対象になりうると記されている。
RTHKは、ソーシャルメディアサイトにおける新たなアーカイブ方針は、公式ウェブサイトにおける慣例に沿って過去12カ月間の番組を保存するものであり、すべてのアーカイブを恒久的にオンラインで保持しているメディア組織はほとんど無い、と述べている。
「2019年の社会的事件を擁護し、事件について自分たちなりの解釈を守ろうという香港の一部の人々の取組みに関する貴社の記事と、ユーチューブ上でのRTHK番組に関する弊社アーカイブ方針は、いかなる意味でも関連しているとは考えられない」とRTHKは述べている。
争いが生じているのは、何をどのように語り継ぐかという点だけではない。昨年、抗議行動が弾圧されて以来、香港の風景そのものが変化しており、馴染み深かった場所が様変わりしている。
抗議参加者が火炎瓶を投げていた歩道はフェンスと有刺鉄線で覆われている。行政機関の建物は、水を詰めたプラスチック製の防護壁で囲まれており、歩行者は反対側の歩道に移るか、暴徒鎮圧用の装備を着用した警察官の隊列と防護壁の間の狭い通路を通り抜けるしかない。
抗議参加者が盾として使っていた市内各所のごみ箱は、金属のループに吊り下げられたポリ袋に取り替えられた。抗議参加者は歩道の敷石を剥がして警官隊への投石に使っていたが、これらはコンクリート舗装により修理されている。
物理的な変化だけではない。フリージャーナリストのジェイド・チュン氏(24)は、政権側が取り締まりを強化してからというもの、おおっぴらに話せないことが多くなったと話す。そのため、独裁的な支配に抵抗するべく秘密の暗号が使われているという。
先日、チュン氏が香港市内の小さなレストランで店内WiFiのパスワードを尋ねたところ、単なるパスワードとはとうてい思えない答えが返ってきたという。「721831101」である。
7月21日、8月31日、10月1日は、2019年の動乱の中でも最も激しい衝突が生じた3日間だ。チュン氏はこのパスワードを聞いて、過去を思い出した。当局は、統制を取り戻した後、その過去を書き換えようとしているように感じられるという。
「いまや、私たちの思いを表現するにはこういう形しかないのだと思う」とチュン氏は語った。
国安法施行から1年、英国領だった香港が返還された記念日である7月1日を間近に控えて、中国は香港の行政システムも大きく見直した。あらゆる公職者に対して、「愛国的」であり、中国政府に対する忠誠心を持つことを求めたのである。野党政治家や民主化活動家は、国安法の適用を受けるなどの理由により投獄されるか、亡命を選んでいる。
香港当局は4月中旬、「国家安全教育日」に合わせ、学校活動、ゲームやショー、そして警察その他の機関による人民解放軍風の「ガチョウ足行進」でのパレードを挙行した。
学校や文化センターでは、住民を集めて、国家安全をアピールする「モザイクウォール」を作り上げた。2019年の「レノン・ウォール」の組織的な官製バージョンだ。ウォン・チョー・バウ中学校に作られた「モザイクウォール」に貼られた付箋には、「国安法支持は異論の余地なし。支持、支持、支持! 中国本土と一体になれるはずだ」と書かれていた。
子どもたちは警察の使用する銃のオモチャを与えられ、暴徒鎮圧用の装備をつけた警察官の監視の下、地下鉄車両のレプリカの中などで遊んでいた。香港住民の多くにとっては、テレビでも広く報道された2019年8月31日、警察官が地下鉄車両に殺到し、集まった若者たちに催涙ガスを浴びせ、警棒で殴打していた様子をシュールに再現する光景だった。
<シンボルの闘い>
世界有数の平穏な街・香港で数カ月間にわたって毎日のように火炎瓶が飛び交った、騒然たる2019年の戦いの続編は、シンボルや言葉、文化といった領域での政府との闘いだ、と活動家たちは言う。
当局の側も、そうした領域での闘いを避けようとはしない。
5月上旬、ハーバート・チョウ氏(57)が夕食を注文していたところ、同氏の経営する「チッキーダック」がセン湾区に開店した新店舗前に、警察のワゴン車が現われた。最初チョウ氏は、新型コロナウイルスの関連で近所のビルを封鎖するために当局がやってきたのだろうと考えた。
だが、「国家安全局」と書かれたベストを着用した警官たちは、彼の店舗の周囲の地域に非常線を張り、好奇心あらわな野次馬が集まってきた。警官は店に入り、チョウ氏に捜査令状を示し、店内の商品をチェックし始めた。
「まるで麻薬取り締まりのためにバーに踏み込んだような感じだった」とチョウ氏は言う。
チョウ氏が着ていた長袖Tシャツには、「ソーセージ解放、我らの時代の野菜」「ミートボール5個、ソースはなし」とプリントされていた。抗議活動のスローガン、「香港解放、我らの時代の革命」「5大要求、妥協はなし」を連想させるジョークTシャツだ。とはいえ、法的な面では何も後ろ暗いことはしていないと確信していた、とチョウ氏は言う。
警官らは、「香港解放」というスローガンは反体制的で非合法であると言った。この主張については、今後数カ月、国安法に基づいて逮捕されたオートバイ運転手に対する裁判の中で検証されるだろう。
また、チョウ氏の店舗では「ビー・ウォーター(水になれ)」という銘柄のビールも扱っていた。この商品名は、抗議行動において警察を消耗させるために使われた「追いかけっこ」戦術を思わせるが、大元の出典は香港のカンフー映画スターであるブルース・リーの言葉で、常に相手に適応することを促す教えである。
ソーセージや野菜をネタにしたジョークTシャツは、逮捕や処分にはつながらなかった。だが、この強制捜査は2人の従業員を震え上がらせるには十分であり、彼らは後に退職してしまった。
チョウ氏は、自分の店は希望に満ちた場所であってほしいと語る。「まだ自由な場所が残っていると人々に伝えたい。歴史が変えられてしまうかもしれないから」
冒頭の映像作家のチョウ氏は、「体制側は、抗議活動を忘れさせようとしている。記憶するためにこのカメラを使いたい」と言う。「記憶の中で我々は抵抗する。忘却と闘っている」
(翻訳:エァクレーレン)
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