「これが、私が戦争で見たことです」。2010年、米首都ワシントンにあったウォルター・リード米軍医療センター。アフガニスタン戦争で両脚と左手小指を失ったダン・ベルシンスキー(37)は、自身の体験から戦争が失敗すると率直に語った。隣で聞き入っていたのは、当時の副大統領ジョー・バイデンだ。
◆士官学校を卒業、アフガンへ
米国は当時、「テロとの戦い」を掲げてアフガンのタリバン政権を倒した後も泥沼の戦いを続けていた。民主国家の建設のためとしていたが、バイデンは「私もあの国の建設に(米国が関わること)は反対だ」と明かした。
01年9月11日に米中枢同時テロが起きた時、南部ジョージア州の高校3年生だった。すでに4年制の陸軍士官学校への入学を決めており、「性格的に復讐(ふくしゅう)という感覚はなかった」が、近いうちに想定される戦争を具体的に意識したという。
実際に米国は翌月、テロを首謀した国際テロ組織アルカイダの指導者ビンラディンをかくまったとして、タリバン政権下のアフガンへ攻撃を開始。07年5月に士官学校を卒業したダンは、訓練を経て09年7月にアフガン南部カンダハルに降り立った。しかし「陸軍士官として新しいキャリアが始まる」という高揚感はすぐに、絶望に変わる。
◆「考えが根本的な間違いだった」
赴任して2週間は通訳すらおらず、アフガン軍との意思疎通もままならないなか、どこにタリバンが潜んでいるのか情報がない。強い爆発力と小型で隠しやすいため米軍の脅威になっていた即席爆破装置(IED)と呼ばれる手製爆弾に対しても、探知機や防御機能を高めた対策車もない。「戦争が始まって8年もたつのに」と不満だったが、米国は03年にイラクとも開戦。泥沼化した2つの戦場に振り回され余裕を失っていた。
着任から1カ月半ほどたった8月18日の昼下がり。アフガン大統領選が2日後に迫り、投票所の見回りに向かうところだった。仲間の部隊がタリバンに襲撃され、自分の部隊を率いて応援に向かう途中、数歩後ろで爆発。無線を運んでいたジョナサン・ヤニー=当時(20)=が橋に隠されたIEDを踏み、即死した。可能な限り遺体を集め、安全を確認して夜中に陣地に戻ろうとしたところで、ダンも地中に隠されたIEDを踏んでしまった。
この日、見回りに協力するはずだったアフガン政府軍の兵士たちは「タリバンの襲撃は確実」と、知らないうちに逃亡していた。米国が「民主国家の建設」という大義を掲げても、肝心のアフガン政府に当事者の自覚はなく、ベトナム戦争と同じ轍(てつ)を踏んだ。「米国が他国の形を変えられるという考えが根本的な間違いだった」
◆撤退、称賛とむなしさ
ダンとの会話から11年後、大統領となったバイデンはアフガンからの米軍撤退を決めた。タリバンの復権を早めたとの批判もあるなか、ダンは「過去3つの政権は責任をとらなかったが、戦争を止めたことを称賛したい」と語る。
一方でむなしさも残る。「私たちの20年は、(タリバンが攻勢を本格化させて)たった3週間で無駄になった」(敬称略、米南部ジョージア州で、吉田通夫、写真も)
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